松本再訪

映画『ある殺人、落葉のころに』松本CINEMAセレクト上映の翌日、神奈川へ戻る電車までの時間、松本市立博物館に行くことにしました。そこでは縄文時代から現代に至るまでの松本の歴史について展示されているのですが、展示ケースにある縄文土器を見て、私は前作『3泊4日、5時の鐘』を思い出しました。

『3泊4日〜』では考古学を専攻する学生たちが合宿するため茅ヶ崎にやってきます。

そのような設定が脚本上にあったので、リサーチのため茅ヶ崎の文化財担当の方にお話を伺いに行ったことがありました。

茅ヶ崎でもよく土器が出土するのですが、ほぼ全て割れた状態で見つかり、それらの破片を接合させて復元を試みます。しかし、全ての破片が土の中から見つかることは稀で、見つからない箇所は石膏などによって埋めていきます。このように復元された、白い石膏に繋ぎ止められた土器の写真は歴史の教科書などで見た記憶がある人もいると思います。

リサーチ時、つぎはぎの土器を見た私は「白い石膏の部分を土器と同じ色に塗らないのですか?」と質問すると担当の方から「それはしてはいけないことだ」という答えが返ってきました。なぜなら、復元された土器はこの先も残り、未来の人がこの復元された土器を見た時、実際に出土した箇所と復元のために足された箇所を見分けられるようにしなければいけないからです。

考えてみれば当然です。しかし、当時の私は完全なもの(=完全に見えるもの)の方が良い、という考えに囚われていたように思います。

しかも、それらの土器はあくまで仮の姿として石膏によって埋めているだけであって、本来の姿は別の形をしているかもしれません。

パズルのように完成された形が既に決まっているものではなく、一つ一つの破片をつなぎ合わせることによって初めて形が見えてくる。しかも、それが最終的に完全な形になることはほとんどない。

この土器の接合・復元に対する考えは、『3泊4日〜』のテーマや台詞にも反映させていますし、『ある殺人、落葉のころに』にも特に構成の部分で色濃く影響があるかもしれない、と松本の地で土器を見て思いました。

映画を構成する最小単位はカットです。

その1カット1カットが土器の破片のように繋ぎ合わされるも、完全な形になることはなく、むしろ巨大な白い部分(=余白)が目立ってしまう。

和也役の森優作さんが『ある殺人〜』について「分からないものを分からないものとして捉えている」と評していたこととも通じるかもしれません。

今回、松本へ5年ぶりに行き、じっくりと自作について考える時間を得ることができました。

次回作はその余白の部分、分からない部分は本当に分からないのか、土を掘り起こして破片を見つけ出すことが課題になると思っています。

その作品と共に、また松本へ来られるよう励みます。

三澤拓哉

※写真は展示されていた地層の断面

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