なぜ自分は箱根駅伝で感動してしまうのか、という話。
いきなり話しは逸れるが、時おり撮影現場で見られる、
「OK! 次のシーンは・・・」
「監督! その前にBのリアクション撮っておきませんか?」
「うーん、一応撮っておくか」
というやり取り。
例えば、AとBという二人の人物が会話するシーン。AがBに台詞を話す時、BがAの話をどんな様子で聞いているか。涙を流しながら聞いている。笑みを浮かべている等々。それによって観客が受けるそのシーンの意味合いが変わってくる。大半の映画はそのリアクションの連なりによって観客を感情移入させ、共感を導いていると言っていいかもしれない。
本題、箱根駅伝について。元々テレビでも見ることが少なかったが、コース近くに越してから沿道で観戦するようになった、と言っても今年で2度目。少し不思議に思うのは昨年も今年も沿道に立つと高揚感と感動が押し寄せてきてしまうこと。なぜ不思議なのかと言えば、そうした感情の変化が“選手の来る前”から始まっているから。最高潮に達するのは選手が通過する瞬間だ。
なぜ私は感動してしまうのか? その最も大きな要因は「選手」ではなく「沿道を埋める人々」ではないか?
(とりあえず、今日はここまで)