夏の残響、香港の記憶

 

2019年7月、私は香港にいた。

香港と日本にいる仲間とで作った映画『ある殺人、落葉のころに』を完成させるためだ。

ひと月前の6月に受けたアジア映画ファンド獲得の知らせ。このことによって今作の完成がようやく見えたことと、さらに釜山国際映画祭での初上映も決定したことは私だけでなく編集作業を共に進めてきた香港の友人たちに大きな喜びと安堵をもたらした。

香港で10日間編集作業をし、そのまま韓国へ向かい20日間で残りの仕上げ作業をする計画だった。

 

その頃の香港はあの200万人が参加したデモからおよそ1ヶ月が経った時期にあたる。私が渡航する2日前は白シャツを着た集団がデモ参加者に対し暴力をふるい、現地の友人からは「もはやテロ事件」と日本語にグーグル翻訳されたネット記事が送られてきた。

 

私にとって3度目の香港。到着すると意外なほど静かだった。早朝に着いたこともあるだろう。仮眠をとってから友人のMに誘われ街に出た。

 

はじめてMと会ったのは2017年の5月、東京でのこと。共通の友人Hを介してのことだった。そこでの出会いをきっかけに私たちは映画を作ることになり、互いの家を訪ね合う仲になる。

 

Mと歩く道。デモ以降の人と街の変化。彼自身の考え。この先、香港はどうなるかを私に話した。あれを見て。その先には工具店があり、若者たちがゴーグルやマスクを手にしている。そうしたものが「仕事」のために必要な人たちには見えない。スポーツ店に入れば、陳列されている大人サイズのヘルメットの残数が子ども用のそれと不均衡を起こしている。建物の外壁にはメッセージが書かれたポストイットがずらりと貼られている。「香港加油」。一見かつてと変わらない街の様子。しかし、人々は確かにそこに存在するサインを読みとり、時に発信しているようだった。

 

「そういえば何が花火にとって大事なんだっけ?」

バスに座席に並んで腰をかけると彼が聞いた。

「ああ、えーっと。距離(distance)とズレ(gap)ね」

「そうだった。そうだった」

 

2017年の夏、私にとって何年かぶりの花火大会。当時、逗子の海の家で働いていた友人に声をかけてもらい、当時付き合っていた女性、つまり今の妻と行ったのだった。花火大会自体は隣の葉山で開催されていて、人がまばらな逗子海岸から少し離れた場所で打ち上がる花火をビール片手に眺めていた。

空に向かってにょろにょろと軌道を描き、一瞬消えては開く花火。そして、間も無く花火の音がやってきて、身体の表面をその波で振動させる。打ち上がる花火はその連続の中で、花火を見ている私が今どこにいるのかを感じさせる。花火との距離とそこから生じるズレから、私が花火を見るという経験は他者と共有不可能なものであり、その意味で花火は自分自身の存在証明になりうるし、だからこそ花火を他者と、特に大切な人と見ることは尊い行為なのだ、というエセ哲学者めいたことを後にMに言ったのを彼の質問に答えながら思い出していた。

 

「それって映画にも言える?」

「そうかも」

 

その週末に起きたデモでMは警察に逮捕された。デモ参加者に向けられた催涙ガス。Mが逮捕されたという連絡。逮捕後、MをサポートするためのHをはじめとした友人たちによる尽力。傍にいながら何もできない自分。彼に対する心配と虚無感を抱えながらも映画を完成させなければならない。様々な思いに駆られながら、一日また一日と過ぎていった。

 

彼が数日間拘留され、私がMと再び会ったのは韓国へ発つ日、夜の便までの間。彼と会う前、罪状は確定していないが最短でも4-5年、最長で10年の刑になると聞いていた。そんな状況にある友人を前にどんな声がかけられるだろう。

 

Hを交え、飲茶店で昼食をとった。広い店内の壁には大型テレビが四方にかけられ、一様にデモについてのニュースを映している。凝視する友人たち。飲茶を食べる。テレビを見る。それ以外は互いにどんな言葉をかけるべきか探しているような時間が続いた。

 

昼食を終え、Hの家で過ごす時間。そこでMの方から、今回の香港滞在はどうだったか、と聞かれた。この時、どこまで自分の思いを伝えられたかわからない。そもそも自分の思いが何なのかすら把握できていなかっただろう。出発の時間になり、かたく抱きしめ、別れた。

 

香港から韓国への便。一緒に向かうはずだった友人たちは隣にいない。

映画は多くの人たちの支えによって韓国で無事完成を迎えることができたが、この企画のはじめから一緒に歩んできた彼らと完走したかったというのが本音だ。

 

Mにとって未来が定まらないまま、今年が終わる。

この夏に香港で過ごした日々の残響が私に向かい続けている。この残響は私が何者かを証明するものではなく、何者かを問うものだ。彼個人との関係。政治的、社会的視座と態度。映画を作る者として自分が為すべきこととは。

彼と次に会えるのはいつだろうか。少なくともその時まで、この残響と対峙し続ける。

 

三澤拓哉

2019年12月31日

 

2019年7月30日に撮影

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